今朝、こんなツイートしました。
もうゴールデンウィークかよ。通勤客少なっ #ゴールデンウィーク
— 電磁波モード (@ewave_mode_mac) 2017年4月27日
平日のわりには通勤客が少ないぞ、もう休んでるのか!
ってことを言いたかったです。
これをツイートしたあと、なんか変な感覚が生まれたんですよね。
「通勤客」、俺以外の電車で通勤してるひとたちのことを表現したつもり。
間違ってないんだろうけど、俺にとって他のひとたちは「客」じゃない。
俺も他の通勤客も、電車会社にとっては客だけど、俺にとって客じゃない。
なぜ俺は、他のひとたちを「客」と表現するんだろう。
いわば通勤仲間、同じ電車で通勤している通勤同士でしかないんだけどなあ、って思ったんです。
通勤じゃなくても「乗客」ですよね。
- 「乗客のほとんどが高校生だよ」
- 「電車に乗ってるの、ほとんどが高校生だよ」
普通のおしゃべり、口語体では後者なんでしょうが、文章に書くとどうなんでしょう。
やっぱ、乗客なのかな。俺にとっては客じゃないんだけど。
たとえばスーパーだったらどうだろう。
「このスーパー、客がおばちゃんばっかりやな」
やっぱ、客だな。
店長にとっては客だけど、客のひとりでもある俺にとって、他の客は客じゃない。
スーパーといえば、「●●売り場」も気になる。
野菜売り場、お酒売り場、惣菜売り場・・・。
売っているのは店長であって、客は買う場じゃないのか。
視点を客にした場合は、売り場ではなく買い場だ。
いよいよ明日からゴールデンウィーク。
飛行機や新幹線にはたくさんの行楽客、お土産売り場にひとがごった返すのでしょうな。
言葉って難しいぜ。