MacBook Proを好きだと叫びたいから叫ぶ(多分 パート1)

ティザー広告記事などと書いておきながら、今頃になってようやく書きます。

パソコンを替えました。MacBook Proです。



ひゃー、やっぱMacBook Proだなあ。

この世で最も優れたノートパソコンですよ。

いいぜぇー、MacBook Pro。

(そのApple愛、気持ち悪ぅ!と感じた方は、ここまでで結構です)

うさぎさんも見たと思わないでしょう、きっと。

 

なぜ、買い替えたのか

これまで使っていたパソコンは、MacBookでした。

これ、十分名機です。

  • 軽い(921グラム。参考…iPad Pro 12.9インチの本体+Smart Keyboardが約1,047グラム)
  • 薄い
  • 軽い作業ならストレスを感じないキビキビした動作
  • モバイルバッテリーで給電できる(バッテリーの心配があってもモバイルバッテリーがあれば給電でしのげる)

パソコンから一般的なUSB挿入口(メス)をなくし、SDカードスロットをなくし、HDMI出力の接続口をなくし。残したのはUSB Cのみ。

残したのは、ステレオヘッドホンジャックのみ、というAppleらしい革新。

それまでの接続機器(USBメモリーとか外付けDVDドライブとかUSB接続のHDDとかSDカードとか・・・)をどうすりゃいいんだ?というとまどい。

それでも、周辺機器があったし、Appleの大胆戦略の1つ(レガシーインターフェースをなくす)にのっかっているという満足感、少々不便を感じるのはApple愛そのもの(好きになってしまった女性にツンデレのツンしてもらっているときの感覚といえばいいかなあ)、というのもあり、使ってました。

しかしながら、非力なのは否めませんでした。

CPUは1.1 GHz。最大で2.2GHzまでいけるとはいえ、重い処理にいらつくのは否定できません。

子どもの運動会の徒競走撮影。ミラーレス一眼で撮影した数十秒の動画をトリミング、書き出しするのが、もっさりもっさり。以前MacBook Pro(古い機種であっても)を使っていた経験があると、感じるんですよね。たとえ古いMacBook Proとの比較であっても、体感的には数倍の時間を要すると感じます。

それと、革新的でAppleらしさである「レガシーインターフェースの排除」も、しばらく使ってくると不便さの体感度合いが上昇していくんですよね。

iMac ボンダイブルー

↑ このiMac、登場したときはフロッピーディスクをなくしたりカラーリングが違和感ありありで、衝撃的でした。が、売上がよかったり、そのかっこよさからテレビ(ニュース番組やらドラマやら)のセットにさりげなく登場するなりして、結局はみんな馴染んていきました。オブジェとして馴染んでいったんじゃないでしょうかね。

(古くからのMacユーザー(たとえばわたし)は、TVドラマのセットとして使われているのを見て「現実的に、このドラマの登場人物は誰も使えないだろうな」と思っていたものでした。)

私が買ったMacBook Pro

現在販売されているMacBook Proは、ざっくり書くと以下の2種類。

2016年秋に新発売になったMacBook Pro …A

新発売じゃないMacBook Pro …B

このうちわたしが買ったのは、Bです。つまり、新発売じゃないモデルです。

なぜ、古いモデルを買ったのか。

MacBook Pro

上の画像は、Appleのサイトで2つの製品を選択して比較しようとする表示される画面です。

ほぼほぼ(「ほぼほぼ」というのは最近定着した言葉らしいですね)同じスペックの機種2つですが、価格差が2万円ありますね。

結局は左側を購入したわけですが、この価格差が結局は大きな決め手だったかな。

多分、MacBook Proの話、今後も続きます。引き続き、よろしく。

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