「今年は喪中欠礼だよね」
冒頭に書いたのは、先月末、妻から言われた言葉です。
正確には、
2020年に準備すべき2021年の年賀状は無しで、喪中欠礼を準備しなくちゃいけないよね
です。
これを言われたわたしは、すぐにはピンときませんでした。
今年、身内で不幸があったっけ?
といのがわたしの直後の頭の中です。
叔父が2019年12月末に逝去、2020年1月頭に葬儀。
それは思い出した。
でも、叔父は喪中欠礼じゃないよな。その家はもちろん喪中欠礼だけど、うちは違うよな。
エバーノートで毎日書いている日記を検索。
義父(妻の父親)が亡くなったのは去年だったよな・・・・・、
違う! 今年だった。
義父の逝去は、今年でした。
2年前だと思っていた、義父の逝去。今年だった。
昨年秋から、従業員の親御さんの不幸が続きました。
会社の規定で、ボス(支社長)が告別式に参列することになっているのですが、出張中などのため代理で参列したのが、昨年末から今年にかけて7〜8回。
昨年末に開催した高校の同級生たちとの忘年会も、親の不幸で日程調整が進まず、二転三転。
開催までこぎつけたのは1ヵ月あと。
「ご不幸が多いなあ」
と感じるのも当たり前。
自分たちの親世代がそういう年齢に差し掛かっています。
だから、義父が亡くなったのも「いつかは来ること」と覚悟してました。
義父の死因も心不全、老衰。
大往生の享年でした。
とはいえ、2年前という記憶だったことに妻には申し訳なく、また(これが最大の問題なのですが)妻にとって最後の肉親が亡くなって、妻がひとりになってしまったのです。
コロナを、「2年前だったと勘違いしたこと」の理由にするのは姑息。
それよりなにより、妻の肉親がいなくなった一大事について、わかっていなかったことを妻に申し訳なく思うのと、自分自身の認識力というか認知というか、そういうことが欠けていたことに落胆。
肉親をすべて失ってしまった妻に対する想いが欠けていた。
でも、会社の規則に則って、ボスの代理で従業員の弔事にはすべて参列。
あー、ヤダヤダ。
妻を大事に想う気持ちと、それをリカバーしようとする行動ができずに終わりそうな2020年。
2020年に起きた、オレの出来事たち