元上司が死んだ、泣いた。
先日、元上司の訃報に接した。仕事が終わって、電車で家に帰る途中、当時同じ職場にいた、今はすでに退社してる同僚からのLINE。
電車の中なのに、ワンワン泣いた。おれは、いい年したアラフィフのおっさん。だが、嗚咽をとめられなかった。
昔の上司が亡くなったくらいで、なぜ泣いたんだろう。
彼とオレのことを書くので、誰か教えて欲しい。
おやじ(実父)が死んだとき、泣かなかった。おやじはすでにホスピスに入院していたから、ある程度覚悟ができていたからかもしれない。
上司の訃報、その日はお酒を飲んだあと(5リットルほどね)で、気が緩んでいたからかもしれない。
が、他にも理由があるかもしれない。
あらためて、これまで仕えてきた上司を数えてみたら、18人。いずれも立派な人物で、教えられることが多かった。
厳しい人もいれば優しい人もいる。その両方を兼ね備えた人物もいた。唯一、年下もいた。
仕えた期間の長短は、最も短くて3ヵ月、長くて3年。
そのなくなった元上司、Mさんは2年。
当時のその職場は、Mさんを入れて5人。男性は、Mさんとわたしの2人。女性が3人。和気あいあいとして、仲のいいチームだった。Mさんが親父、残りがきょうだい、そんな家族のようなチームだった。
誕生日がある月は、食事会(飲み会)を開いた。上司が無理強いしたのではなく、誰からともなくそんな提案があり、自発的にやりはじめた。5人いるから、12カ月のうち5回は必ず飲みに行った。
食事会の日は、みんな笑顔になりながら、仕事を早く終え、退社した。プレミアムフライデーを20年前から実践していたんだ。
その様子を、周囲の職場は「Mチームは仲がいいな」とうらやましがり、同じような食事会をまねてはじめたチームもあった。
5人で旅行に行ったこともあった。俺の車(日産のテラノ)に乗り、会社が契約している厚生施設に1泊で出かけた。たまたまその日が、俺の誕生日の前日だったこともあり、はじけて騒いだ。
遅くまで(二日酔いが残らない程度に、ね。もちろん)飲み騒ぎたかったが、肝心の俺が眠ってしまい、そのまま夜が明けて、もったいないことをしたと残念に思う一夜だった。
Mさんは遠くに転勤することになった。“家族”で送別会を開いた。銀座から新橋、六本木と流れた。確か6次会くらいまで行ったと思う。“親父”の単身赴任はそれほどに残念だった。
その後、親父の娘たちは結婚を機に退職し、俺も転勤してバラバラになった。
Mさんも退職し、自宅の神奈川に戻ってきた。
年賀状で毎年「また集まりたいね」と言い合っていたが、なかなか難しかった。バラバラになったからね。特にいたかったのが、オレが東京から遠くに転勤したこと。お金も時間も余裕がないと難しい。でもいつか会えるって楽観的に思ってたから、のびのびになった。
でも、念願の、飲み会を開催できる条件がそろった。俺が東京に出張することになったから。
それは、Mさんが転勤してからちょうど20年後。残念ながら一人は遠方で仕事もあるので参加が難しかった。5人マイナス1人の4人が集まろうとしたが、さらに1人が子どもさんがインフルエンザり患のため、欠席となった。やむを得ない。
かくして3人が再会した。去年のことだ。
Mさんは、病気はなにもしていなかった。悪いところは何もなかった。(と、本人からそのとき聞いた)
しょっちゅう、昔の仲間(彼の同僚だから、すでに定年退職し、暇を持て余している連中)と飲んでいる、っていう話だった。表情も明るかったし、なにも問題はない、と思っていた。
それからほぼちょうど1年後の訃報。信じられなかった。
死因は知らない。わからない。事故なのだろうか、病気なのだろうか。
でも、それを知っても、Mさんが帰ってくることはない。
一緒にビールも飲めない。
このブログ書きながら、また泣けてきた。
↓ Mさんとカラオケに行ったら、いつも歌ってた歌。
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