人生のほとんどは間違った記憶でなりたっているのでは?と感じた出来事。
このゴールデンウィークで、
人生って、間違った記憶でなりたっているんじゃないか
と心配になることがありました。
しょーもない体験談なんですが、、、。
1.とある女性について
以前、こんな記事を書きました。
[st-card id=248 label='' name='']リンク先をクリックするのはめんどくさい、という方のために、この記事を要約しますと。
- わたしは女性についてコンプレックスを持っている
- そんなわたしでも、3人の女性とのエピソードがわたしのエネルギーになっている
というものでした。
今回は、その3人の中のひとり、Mさんに関する話です。Mさんに関する記事の一部を引用します。
10年ほど前でしたか、正月に家族で宴会してるとき、母がぼそっと。「Mちゃんは小さい頃言ってたよ。『大きくなったら電磁波くんと結婚したい』って」
アイドル的な存在だったMさん、憧れる対象というだけの存在だった彼女が、わたしを好きだった時代があるという話でした。
2.同級生たちとの飲み会
このゴールデンウィーク、帰省しました。
その他に帰省した同級生たちもおり、集まって、飲みました。プチ同窓会です。この場に、Mさんも参加してくれました。
Mさんとは卒業以来、うん十年ぶりの再会で、わたしは心おどってました。
なにせ、上に書いたとおりのエピソードがあった女性でしたから。
で、今回、酒の勢いにまかせて、聞いてみました。
[st-kaiwa3]「俺の母親から聞いたけど、Mちゃんは小さいころ、将来は俺と結婚するって言ってたらしいけど、ほんと?」[/st-kaiwa3]
酒の勢いに力を借りるのはいいことではない。つい最近も某タレントが辞めるという話もありましたし。
けど、幼稚園か小学生低学年の頃の話だし、今では50代となったおっさんおばさん。お互い結婚もしている。そんな環境であり、害にはならないと、そこは冷静に思っての質問でした。
わたしの質問に対して、彼女から出てくると期待した答えは、
「そうだったかなあ、そうだったかもしれないね・・・♡」
と顔を赤らめながらぼそぼそっと吐露する、というものでした。
が、実際には違いました。一笑に付され、
[st-kaiwa6 r]「そんなことなかったよ~」[/st-kaiwa6]
3.Mさんの記憶、母の記憶
ここで考えなければならないことが、いくつかあります。
それは、何が正しいのか、です。
- 母の話「Mちゃんは小さい頃言ってたよ。『大きくなったら電磁波くんと結婚したい』って」
- Mちゃんの「そんなことなかったよ~」
このふたつの発言は符号しません。どちらかが正しければ、もう一方は不正確となります。
母が発言したのは70歳の頃、今から10年前です。そこそこ年をとってますが、記憶間違いということは可能性が低いです。母はまだボケてませんし、記憶が間違っているということはこれまで起きたことはほとんどありません。
では、母がウソをついたかどうか。これも考えにくい。ウソをついて何がどうなるのか。わたしが「小さい頃もてなかった」ことをなんとか元気にさせようと思って、ウソをついた。考えにくいですね。しかもその発言の頃、わたしは結婚して幸せです。母にとって、ウソをつくことがなんらかの幸せをもたらすかというと考えにくい。
となれば(母の記憶が正しかったとすれば)、Mちゃんの記憶、あるいはその場の言動です。
単に小さい頃のことなので覚えてないということ、あるいは覚えているがその場で「そうだった」と言うのは恥ずかしくてできないので「そうじゃなかった」とウソをついた(ごまかした)という可能性も無いとは言えません。
4.もうひとりの女性の存在と記憶、彼女に対するわたしの記憶
もう1つだけ、このプチ同窓会での出来事にお付き合いください。
この同窓会に集まった中に、もうひとり気になる女性がいました。Hちゃんとしておきます。
Hちゃんは、マドンナ的な存在だったMちゃんとは若干異なり、わたしにとってもっと近い存在でした。(といっても、どちらもルックスはかわいくて、どちらが上でどちらが下なんていうのはありません。)女友だちがほとんどいなかった中で、Hちゃん(ともうひとり)は仲が良く、いつもしゃべってました。
他の女性としゃべるときはドギマギしても、このふたりとしゃべる時はまったく気にならず、素の自分を出すことができる、とても楽しい時間でした。
ところが、中学生になったら、その女性たちが変わってしまって、ほとんどしゃべらなくなりました。なぜか。
自分なりに当時を思い出すと、中学生になったあたりから女性は大人になる。思春期というやつでしょう。そういう変化が彼女たちに起きた。だから、わたしとしゃべることをしなくなった。
女友だちとして仲が良かった存在唯一の存在でしたから残念だったのですが、自然な成長ですからどうしようもありません。
そして、別の高校に進み、それっきり楽しく会話することはありませんでした。
そんなHちゃんとも、今回久しぶりの再会。
[st-kaiwa3]中学生のとき、Hちゃん(ともうひとり)変わったよね。それまで楽しく会話できる存在だったんだけど、寂しくなったって記憶が蘇るよ[/st-kaiwa3] [st-kaiwa4 r]そんなことないよ、電磁波くんが変わったんじゃないかなあ[/st-kaiwa4]
そうなんです。Hちゃんから発せられた言葉が意外でした。わたしの記憶と違ったのです。
[st-kaiwa4 r]わたしたちは変わらなかったと思うよ、電磁波くんが変わったんだと思う[/st-kaiwa4]
Hちゃんとの会話で、記憶が違っていたこと。その驚きと、Hちゃんがその後も熱心に、わたしが勝手に変わっていったからむしろ彼女らの方が話せなくなった、という話を語りかけていることに、なにかめまいのようなものを覚えていました。
彼女の熱心な様子は(わたしの勝手な妄想かもしれませんが)「もっともっと長く電磁波くんとしゃべりあって仲良くしていたかったのに・・・(好きだったのに・・・)」と感じるほどでした。
(「好きだったのに・・・」はわたしの妄想ですね。)
Hちゃんの記憶が正しかったのかどうか、それもわかりません。わたしの方が正しかったのかも。だとしても、その同窓会でのHちゃんと、昔と同じように楽しく一生懸命会話していることは極上の時間でした。
5.この記事で言いたかったこと
ふたりの女性の記憶、わたしの彼女たちへの記憶、どれが正確でどれが不正確なのか。
とにかく、記憶って自分で勝手に変えてしまっている、あるいは間違った記憶を持ち続けているものなのだ、ということ。
嫌なことがあったら、それを忘れようとするのが人間の性です。逆に、いいこと、楽しかったことはずっと覚えていたいものです。さらにはその話に余計な装飾をつけることもあるかもしれない。
人間の歴史、タイムラインって、人のあやふやな記憶の上に成り立っているのだ。50になって初めて、そんなことを思ったのでした。
いずれにしても、ただはっきり言えるのは、Mちゃんはわたしのエネルギーになっていたし、あらたにHちゃんという存在がエネルギーのひとつになるかもしれない、そんな存在だったかもしれない(ということをこれからしばらく思い出そうとする毎日)。
50のプチ同窓会で、またひとつおとなになった電磁波でした。