ゲスという言葉でわいた2016年から、年が変わって2017年になっても不倫ネタは終わりませんなあ。
女優、斉藤由貴が不倫した・してない(恋人手つなぎは一瞬、好意はあった・ないがあいまい)で騒ぎが起きてます。(好意はあったらしい。行為はどうか?)
ちょっと前には、国会議員の今井絵理子が、神戸市議の橋本某と不倫疑惑です。
昨年の川谷絵音(ゲス川谷と表現したほうがわかりやすいか)とベッキーの話や、6代目桂文枝(桂三枝のほうがわかりやすいね。「新婚さんいらっしゃーい」の司会をしている、あの落語家)のときは、さほど、不倫が悪とは言われていなかったと記憶してます。
というか、「不倫は悪じゃない」「不倫は違法じゃない」とかな話が多かったように思います。
[st-cmemo fontawesome="fa-file-text-o" iconcolor="#919191" bgcolor="#fafafa" color="#000000" iconsize="100"]2016年の不倫ネタに桂文枝を持ってくるあたり、アラフィフです。すんません。[/st-cmemo]
うんうん、当時わたしは、とある有名ブロガーとケンカしたことがあったんだよなあ。取っ組み合いではなく、ネット上での、ですけどね。
彼は不倫擁護、わたしは不倫否定派。
彼の主張、考え方の存在は否定はしません。でも、なんだかなあ、と思ってしまいました。
月間のPVが数十万とかいうほどのブロガーなんですけどね。
今回の今井・橋本と、斉藤由貴に関しては、世間の反応はほぼ一致しているように感じますね。
どちらも、当事者たちが「一線はこえてない」「不倫じゃない」と否定していることが一致してますが、さらに一致していることは、どちらのネタも子どもの存在があること。
「子どもがいながら、自分の快楽のために、子どものことを無視して行動してる」
というのが、世間の一致した反応であろうかと思います。
そりゃそうです。
子どもの存在を意識した場合、自分たちの欲望を満たそう、という発想にはならないんじゃないですか。
斉藤も今井も橋本も、子どもがいるんでしょ。それなのに、不倫しますか。
自分の子どもが、「親が不倫した」と知ったときのことをどう感じ取るのでしょうか。どう想像するんでしょうか。心的なダメージを受けることが想像できないのでしょうか。
そんなことをイメージできる人間であれば、不倫なんて馬鹿な行動をしようという気は起きないはずです。
しかも、この2つのネタ、どちらも、世間から注目される存在なのですからね。議員と俳優(女優)という。
報道された記録、記憶が残りますよ。
子どもたちがその情報に触れたときの心情を考えるに、残念でかわいそうです。
じゃあ、じゃあ、子どもがいなかったらいいのか、というと、そうじゃないです、と言いたい。そもそも、それが言いたいがためにこの記事を書きました。
子どものいない夫婦だったら、不倫は許されるのか。
そうじゃないということも言いたい。
子どものいない夫婦でも、子どもがいたとした場合を考えて、想像力を働かせて、不倫ということを考えて欲しい。
どう言ったらいいんだろう。
そうだ、数学での補助線みたいなものだ。
この問題を考えるとき、補助線を引いてみるとわかりやすい。ほら、この角度とこの角度が同じになるからこの角度は・・・、みたいに理解できるのが補助線。(上図でいうと、B-Gの線が補助線)
子どものいない夫婦でも、夫婦になっていない恋人でも、子どもの存在という補助線を想像をすると、不倫なんてできるわけない。
子どもは、親にとって血を分けた存在。いわば、本能的、生理的な存在。
だから、子どもに対する愛情を抱かない親はいない。
その子どもが、不倫をした親(自分)を見る風景って、残酷じゃないですか。
配偶者、あるいは恋人なら、まだ客観的に見られる存在かもしれない。
他人だから。
でも、子どもとなれば違う。
自分のお腹を痛めて産んだ子ども、あるいは自分の配偶者がお腹を痛めて産んでくれた子ども。
「他人」ではない存在の目線で見られた自分がどう映るのか。
自明の理ですなあ、不倫は悪です、非です。
そういえば、わたしがケンカしたというブロガー、お子さんはいませんでしたね。しかもバツイチ。
子どもという想像をできなかった、ということかな。
あ、わたしには子どもがいます。
わたしは不倫はしてません。したいと思いません。
「不倫は文化」
なんて考えは死にやがれ、と思います。
↓ むちゃくちゃひどい不倫の映画です。観てて吐きそうになりました。
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