ポケモンGOプレイ中の死亡事故がついに発生

ポケモンGOがかかわる死亡事故がついに発生してしまいました。残念〜!

ポケモンGOをプレイ中だった運転手にはねられた人が死んじゃった、という事故です。

いつかは起きるだろうと予想してたけど、やっぱりおきてしまいました。

f:id:e-wave:20160824193738j:plain

 

1.悪いのはポケモンGOだけじゃない

悪いのはポケモンGOだけじゃありません。

歩き回ってポイントを稼ぐ系のアプリは、他にイングレスという老舗があります。

歩き回らなくても、スマホのゲームはたくさんあります。

ゲームじゃなく、スマホで本を読む人もいます。私もそうです。

スマホで本を読むのは良くて、ゲームをするのは悪い、ということはありません。

スマホの画面を凝視しながら、他の安全は無視して歩くのは、よくないのです。

まあ、スマホを凝視している様子をみるだけで、それがポケモンGOなのか読書なのかすぐに判別はつきません。とにかく、歩きスマホが悪いのです。

 

2.悪いのはスマホだけじゃない

悪いのは、スマホだけじゃない。

スマホではない、昔からの(レガシーとでもいいましょうか)紙の本の読書も、歩きながら紙面に夢中になっている様子は、危ないです。

スマホほど人数は多くないですが、歩き読書も批判されていいはずです。

あ、批判されてますね、「歩き読書」。

二宮金次郎(二宮尊徳)の像が、児童・生徒がマネすると安全上の問題があるということから、学校からどんどん撤去されているって話だそうですから。

うん。確かに、そうだ。歩きスマホを悪いというなら、ニノキンの像も問題視されるべきだ。

ただ、像を問題視するより以前に、親や教師がやるべきことがあると思うけどね。

そもそも像の姿を機械的に真似ることをやろうとする子どもがいるだろうか。

いるとして、それは像が存在したから(「あの銅像の、二宮さんみたいになりたいから、真似ようという意識からの行動)でしょうかね。

 

違和感、感じますね。

ヒトは、決して安全を軽視はしないはず。

軽視はしないけど、自分以外の存在に対して軽視はするかもしれない。

それが問題。

歩きスマホに限らず、他人、ヒト以外も含め、自分以外の存在に気持ちをもち行動することが大事、というゴクゴク(プハーなビールの話じゃない)当たり前の結論で、終幕。

安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学

安全神話崩壊のパラドックス―治安の法社会学

おすすめの記事