部活動(部活)の今と昔の違いを感じています。
息子は中学生、わたしの中学生時代は30年前なので、比較すること自体がおかしいのですが、でもそれが、10歳のYouTuberへの違和感と重なる部分がありまして、書いてみようか、と。
1.部活の違い
まず最初に、息子の部活から感じる違和感と、わたしの中学時代を説明します。
(1)試合が多い
まあ、試合が多いです。
公的な大会、他校との練習試合・親善試合等。
多い時は2週に1回は試合が行なわれていた印象があります。
わたしのときは、公的な大会が年に2回。
他校との練習試合、交流などは3年間で1回あったくらいです。
種目の違い(息子:軟式テニス、わたし:卓球)や、街の違い(今は人口10万人の街、わたしの中学時代は人口3万人弱)などもあるのでしょうが、試合ばかりやってて上達するのか、と思います。
試合は上達する機会であるのは間違いないと思います。試合勘を養うのにもいい。
ただ、試合ばかりでは、技術が上達するとは思いません。
(2)親の送迎
試合が多いのと同じ話なのですが、親の送迎が必須。
公共交通機関で行ける場所なら自分で行くのですが、そうではないケースがほとんど。公共交通機関で行けない。最寄りの駅、バス停から遠い。
だから送迎は仕方ない。
ですが、親、特に母親の関わりが強すぎます。
親がサポートする必要は理解します。でも、中学生ならできるであろうことまで親にやらせるのはどうよ、って思います。
練習や試合の予定など、顧問の先生が生徒に直接伝える、もしくはプリントで渡して管理させたらどうなの?
(3)バックハンドを打たせない
軟式テニスのこと、それを中学でどの程度やるのかがわかりませんが、息子の学校ではバックハンドは打たせない(今現在は顧問の先生が変わって、様子が違うようですが)。
野球で、若いうちはひじに影響があるから変化球を投げさせない、というのがありますけど、でも別の中学ではバックを打ってるんですよね。しかも、バックを打てないことが、そのまま息子の中学の圧倒的な弱さにつながってる。
2.わたしの部活の経験
とまあ、エラそうなことをしゃべりました。「お前はどうだったんだよ」という声が聞こえますので、わたし自身の経験した部活をご紹介します。
(1)種目
種目は卓球です。
運動が好きじゃないわたしは、中学校にはいる際「一番ラクそうな種目」という基準で卓球を選びました。
が、結果的にはそうでもなかった。全ての部活が厳しいものでした。
今や、卓球もメジャーになり、日本人選手が世界で活躍。卓球が楽な種目だという認識は、卓球をされてない方にも無いでしょうね。
(2)顧問は竹刀を持って
顧問はいつも竹刀を持ってました。生徒をたたくためです。
メインは、叱る、注意するという時に、床を竹刀でたたいて迫力を持たせる、圧力をかけるという用途でしたが、時々は「脚を伸ばしたまんまじゃあかんやろ!」と太もも、ふくらはぎをたたいたりしてました。
いまじゃ考えられないですね。
(3)素振りとフォームばかり
素振り、フォームの練習が多かったです。
わたしの1〜2年上の先輩らは、部員数が多かったという事情もあったのですが、まともにピン球(卓球の球)を使った練習は、上級生が最後の大会が終わってから(2年の秋以降)というほどだったそうです。わたしの学年も、1年生の間はほとんどなかった。
それで、地区大会は優勝(2年上、1年上、そしてわたしの学年も)するんですから、大したもんです。(自慢ですいません)
顧問は、この中学校に来て初めて卓球をすることになった(顧問をさせられることになった)そうですが、夜中まで素振り、フォームを独学していたらしいです。(隣に住んでいた同僚の先生の話)
(4)とにかく走らされた
アップ程度の話じゃありません。
練習終了後、体育館の周りを、リレーで走らされたのがいちばんきつかった。チームに分け、競争させる。一周走ったあと交代し、2名ほど走ったあとまた走る、というインターバルの短距離走です。
「田舎の子どもなのに、足腰が弱すぎる」という、他種目も含めた過去の顧問の評価がもとになって、走るのがうちの中学校の伝統みたいなものでした。
軟式テニス部でも、降雨でコート(専用コートがあるわけではなく、グラウンドをコートとしても使っていた)が使えないときは、ラケットを使った練習はできません。で、近くの山まで走る。往復で7~8kmはあったでしょうか。そんな部活動でした。
長々と書いてきました。
時代と環境(地域)、そして種目も違う息子たちとわたしでしたから、違いがあるのは当然です。
昔の方がよかった、と懐古するつもりはありません。今の顧問も現代でやれるだけのことはやってくれている、と評価しています。
3.10歳の不登校YouTuber
さて、10歳の不登校YouTuberです。
彼、そして彼の父親の主張を詳しくは調べてませんが、
登校したくなければしなくてもいいじゃないか
ってことですよね。
10歳の子どもはわからないでしょう、親がそう考えていいんですかね。
小学校で学ぶこと、小学校の生活が将来にどれだけ重要なのかをわかってないのでしょうか。
自分の気持ちに従って生きる事の何がいけないのでしょう。そしてそう言ってくる方に聞きたいのですが、あなたにゆたぼんが何か迷惑をかけたのでしょうか?
『宿題くらいしろ!』とか『宿題をしないとロクな大人にならない!』という意見もありましたが、その人がそう思い込んでいるだけで何の根拠もありません。実はアメリカの調査結果でも『宿題は学力向上に効果なし』という衝撃的な結果が出ています。
以上は、10歳YouTuberのゆたぽんの父親のブログ記事からの引用です。
本気でしょうか。
ゆたぽんが迷惑をかけるかけないの話じゃないですよね。
親が、何もわからない小学生に学校に行くことの大事さを指導しないのは違和感ありありですね。
宿題は意味がない?
そうじゃないでしょ。宿題をやらなければならないとき、やりたくないけどやらなければならない、そういうことを学ぶ場所が学校でしょう。
以下、いつもうなる文章を書いておられるfujiponさんのブログです。
この中にイチローが「宿題をすることの意味」を引用されてます。ぜひリンク先をご覧いただきたいのですが、やらなければならないときにやりたくなくてもやる、ということです。
わたしが子どもたちに望んでいるのは、性能の良さ(センス、成績が良いなど)ではなく、馬力です。
努力できる意志と体力と健康です。イチローの宿題論は上記のブログで初めて知ったのですが、わたしの想いと重なる意味合いが多くてビックリしました。
たとえば、わたしが小6のとき、漢字の宿題で、いくつかの熟語をノートに100回書くというのがあったのですが、布団にはいってさあ寝よう、というときに宿題をやってなかったことを思い出す。
そこで、「あ、明日でいいや」と思うのではなく、泣く泣くでも布団から起きて、漢字を書く。
そういう身体、意思を作るのが学校なんですよ。
宿題をしないと子どもが言い出したら「しないとだめだ」と叱るべきなのですよ、親は。
「数学が将来の人生に必要か」
と、数学苦手の多くの人が言いますが、必要ですよ。
A=BでB=CならA=Cってことが実生活でもあるでしょ。ああいう発想、ものの考え方の土台を作るのが小中の算数、数学ですよ。
世界的な指揮者の小澤征爾さん、ベルリン・フィルの第一コンサートマスターも務めたことがある安永徹さんら、世界的な音楽家を育てた齋藤秀雄さん。
齋藤さんは、チェリスト、指揮者、そして教育家でもある方です。
その齋藤さんの言葉、
型に入り、型から出でよ
齋藤さんの教育は、基本をみっちりやったんだそうです。
小澤征爾さんの著書で読んだことがあるのですが、指揮棒をタテに振るだけでも何回もやらせられたそうです。
基本をしっかりやらないと応用はきかない、という意味のようです。
イチローも、齋藤秀雄さんも、発想は同じです。
10歳YouTuberも、学校行かなきゃ。
学校に行く、という、多くの子どもがやっていることをやれない、あるいはやることを放棄するのは、もう将来が危ない。
(メンタル不全やいじめなど、いろいろな事情で登校できない子がいます。その場合は別です。)
そういうことを、親が認めてしまっていいのか。
ゆたぽんのお父さんは心理カウンセラーだそうですが、カウンセリングを受けたいと思わないなあ。