今週のお題「私のブログ・ネット大賞2016」
インターネットがわたしにとって、期待していたものから変質してきている。
衝撃というか、モヤモヤしていたものを一気に取っ払ってくれたのがこちらの記事です。
この記事をわたしなりに要約してしまえば、「今のインターネットは、個人が特定され、炎上しちゃうこともあるので、言いたいことを言える世界ではなくなってしまった」ことを嘆いているものです。
これに、わたしも同感し、インターネットの現状の負の側面を残念に思ったということです。
楽しいことって大切だし、自分に言い聞かせていれば、気のせいでも楽し気持ちになれる。でも、人間、どこかで弱音を吐かないと生きていけないし、そういう場所は誰にだって必要だと思う。
インターネットがずっと、自分にとってその場所だったのだけれども、どうにも、最近、そうではなくなってしまったような、気がする。息苦しい。…上記ブログからの引用
インターネットが変化したのか、それを使うわたしたちが変化したのか、両方なのか。
インターネット上に発言するという場の変遷について、わたしなりにこんな見方をしています。
1.名前を明らかにした状態で使う
インターネットが広まりだした時代は、ユーザーは特定された状態だったように思います。具体的には、本名や職場、学校などを明らかにするとかではなく、ユーザーが特定された状態で使う、みたいな。
わたしがインターネットを使い始めたのは、モデムで「ピーガリガリ」とやってた頃。
NIFTY-Serveでパティオを開設して、仕事でつながった(社外)友だちとやりとりしたりしてた感じ。
NIFTY-Serve(ニフティサーブと読みます)は、今で言えばLINEグループみたいなものと表現すればいいでしょうか。メンバーを登録し、その中で会話(文字のやりとり)を楽しむみたいなものでした。事前に登録するのはリアルな世界での知り合いを登録していましたので、発言したのは誰か特定ができました。
その後、ウェブサイト(当時はホームページという表現が一般的だったと思います)を作って公開したりします。
ウェブサイトでは、「こういうことを伝えたい」「こんな情報を残しておき、将来もみられるようにしたい」というものを書いていたと思います。(今ではわたしの作ったサイトはなくなってしまったので、どんなサイトを作っていたのか、詳しくは覚えてません。家族の写真を掲載するサイト(=親や親族らがみられればいいな程度の目的で)は覚えています。)
ウェブサイトを作るにあたっても、IDとかアカウントを作成するには完全な匿名ではない形での手続が必要だったと記憶してます。有料だったと思いますし。
その後、ジオシティーズだったかな、無料でサイトを作れるサービスがスタートして無料でできるようになりましたけど、それもやはり匿名での手続ではない形で利用していたと思います。
そもそも、プロバイダへの申込みをしないとインターネットが使えず、そのプロバイダに個人情報がすべてあるから、匿名なんてなかったんですよね。
2.匿名の時代
プロバイダの存在は今でも大きくは変わらないのですが。
ツイッターが出現しました。
ブログが出現しました。
その他、多くのSNSが出現しました。
これらは本質的にはウェブサイトやらメールやらと変わりはないですが、その利用開始時の手続に変化が起きました。
「メールアドレスだけあれば、好きなだけ無料で使える」的な手続です。
これによって、本当の自分ではない「架空の自分」をユーザーにすることが可能になりました。
メールアドレスの取得も、以前はプロバイダから供給してもらうものだけだったのが、無料のメールアドレスを使える世界になりました。GmailとかYahooとか、その他・・・。(今では本人認証が必要だったりして、その頃とはまたチト変わった感じはするけど)
そのため、架空の自分で好きなことを発言できる(と勘違いしている)世界になりました。
表に出るのはアカウント、ハンドルネーム(ニックネーム)的なものだけ。
一日の辛かったこと、嫌な思いをしたこと、誰かの悪口、人には言えない感情・・・。ネチケットやマナーに反しない範囲の内外で、多くの発言が飛び交います。
一日の辛いこと、人生で考えること、どうしようもなくなった憤りや苦痛を、全部文章に書き起こして、それを外部化していた…上記ブログからの引用
そういえば、ボトルメールってあったなあ。ガラス瓶に手紙を入れて海に流す、誰に届くかわからない。それをインターネットのメールソフトで実現したというもの。
本当に「誰に届くかわからない」メール機能だったのか記憶が定かではないけど、ウィキ先生に聞くとそうでもなかったらしい。
「メールソフト」と位置付けられたシェアウェアが提供されたが、メールは利用ユーザー間のみ送ることができ、一般的な電子メールを送受信することはできない。---Wikipediaより
NIFTY-Serveの時代から、「インターネット世界におけるエチケット」(ネット+エチケット=ネチケットと呼ばれてました)、マナーみたいなものは存在してましたし、その名も「ネチケット」というタイトルの本を持ってました。(記事最下部にAmazonのリンク先を貼ってます)
なので、ツイッターでもブログでも、言ってはいけないこと、やってはいけないことは存在したはずです。が、タガが外れたんでしょうか。
SNSが、自由な発言を促し、匿名性が輪をかけた感じかな。
3.炎上により個人を特定
すき家のワンオペの写真やら、アルバイト学生のおふざけツイート(バカッター)やら、土下座させるモンスタークレーマーやら、紙媒体の記事のネットへの掲載(Yahoo!のニュース収集含む)などで、炎上という事態が起きるようになる。
そして、馬鹿なことをした人物を特定しようとする動きが始まる。
そこまでしなくても、過去のツイートや写真の様子から、個人が特定され、指弾される。
そもそも、インターネットは、携帯の情報やらIPアドレスやらなんやら(技術的なことは詳しくわからんけど)で個人の特定はできるのだが、バカッターを叩こうという連中が連携して、中の人じゃなくても特定できてしまった。
SNSを不適切に使っちゃいけないことが大事になり、ブログでの自由な発言はしづらい世の中になった。
↑ フリー素材タレントのMIKA☆RIKAにもびっくりさせられたけど。
ざっくり書きましたけど、インターネットを始めて20年ほどの経験のあるわたしがインターネットの歴史をみた光景はこんな感じです。
(間違ってる部分があればご指摘ください。)
先日、勢いに任せてこんな記事を書いてしまったわたしがえらそうなことを書く資格はないのかもしれないけど、グリーンスターをもらいたいから書きました。
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インターネットのエチケットの古典。