わたしが使ってる腕時計をご紹介します。
カシオのG-SHOCKです。これ。
電波時計で、ソーラーで、かっこいい。
最高です。
〜今はもう中古しかないのか・・・〜
時計とわたし
もう長い付き合いになる。
いつ買ったんだっけなあ。
7、8年前になるかなあ。いや、もっと前だ。
一度壊れかけたけど、無事、正確な時刻を刻み続けている。
ソーラーで動くから、電池切れの心配無し。
電波時計だから、時刻は正確。
時計というガジェットは好きで、いろいろ興味は広がるが、壊れることがなければずっとこの時計と一緒に過ごしていくと思う。
でも、この時計に出合うまではいろいろな時計を使ってた。
日本版のプレイボーイ誌「月刊PLAYBOY・日本版」が存在したころ、プレゼントの企画で当選した時計。
m-playboy.shueisha.co.jp
針が動くアナログ時計なんだけど、フェースには液晶のデジタル時計がついているという、当時としてはなかなかに新鮮なものだった。
わかりにくいだろうが、アナログの時計の表面に液晶のデジタル時計が重なっているというものだす。
当選したのはめちゃくちゃうれしかった。
でも、PLAYBOYのロゴが時計の印字されてて、それを見られるのが恥ずかしかった(「こいつ、PLAYBOYのヌード写真見てんだな」という色眼鏡で見られる)ので、あまり外では着けなかった。
ちなみに、このプレゼント企画は3ヵ月連続だったんだけど、なんとそのうち2回(つまり、腕時計2本)当たった。一本は友人にあげた。
会社の健保で健康増進のためのグッズがもらえるってのがあって、万歩計(歩数計)の機能が付いてる時計をもらった。しばらく使ってたけど、若干デザインが古臭く、壊れもしたので使わなくなった。
スウォッチを買ったこともある。
買った時点では気に入ったデザインだと思ったのだろうが、奇抜なデザインに飽きた。「なんでこんなデザインのモノを買ったんだろう?」とあとから理解に苦しむほどだった。
そのうち電池も切れ、電池交換はせず、そのまんま。
サイトウキネンフェスティバルの時計を買ったことがある。
サイトウキネンフェスティバルをご存知だろうか。
齋藤秀雄という、チェリストであり指揮者である教育者に薫陶を受けた音楽家・演奏家が集まって開催する音楽祭。
有名どころでは指揮者の小澤征爾さん、秋山和慶さん、ベルリン・フィルの第一コンサートマスターを務めたことがある安永徹さん・・・。挙げるとキリがない。
音楽祭として定期的に活動するずっと前、まだ漢字時代の「齋藤記念オーケストラ」がヨーロッパに演奏旅行したことがあるが、そのときのドイツの新聞が「わが国は団結しなければならない。そうでないと、将来は日本の演奏家にクラシック界を席巻されてしまう」と報じられたほど、すごいオーケストラ。
その齋藤記念オーケストラが母体になって始まったフェスティバル。長野県の松本で1週間ほど開催されるが、チケットの販売が、開始から数十分で売れきれるほど大人気。わたしも何度かトライしたが全くダメ。
数年間に渡ってあきらめていたが、とある偶然があり、コンサートを聴く機会を得た。
「こんなチャンスはもう無い」と、会場で購入したサイトウ・キネンの時計。
シンプルな機能、デザインも素朴。そこにサイトウ・キネンのロゴ。
「とある偶然」を詳細に述べることはできないけど、とにかくこのコンサートを聴くなんて、わたしにとっては高嶺の花でした。
そんな、特別な存在だった時計も、ベルトの感触があまりよくなかったり、電池が切れたら魅力が減。電池交換することなく、使わない存在となった。
こんな風に、とっかえひっかえの時代だったな。
そして、今のG-SHOCKに出合うことになる。
「ソーラー」「電波」これだけ揃ってたら、他になにがいる? 時計としての仕事をしっかりできている。
ベルトの素材の、肌との相性もいい。
デザインも、派手さはないが、それがいい。
耐久性はG-SHOCKのブランドそのままで、丈夫。文句のつけようがない。
一度、壊れかけたことがあり、飽きてもいたガジェット好きなわたしは、別の時計を買ったこともある。同じG-SHOCKだったが、買ってまもなくヤ●オクで手放した。
このG-SHOCK、ベルトの感触はわたしにとって史上もっとも違和感ないもの。でも、ずっと腕に着けているのは息苦しくなる。
なので、出社したら、腕から外して机のうえに置くようにしてる。これくらいの距離感が大事なのだ、わたしにとっては。
この時計、繰り返すが、壊れることがなければずっとこの時計と一緒に過ごしていくと思う。
わたしの恋愛
わたしは臆病で、いじめられっ子で、女子と話すことが苦手だった。そんなわたしも、いくつかの恋愛を経験することができた。
この記事を書くのに思い出してみたら、驚いたんだが、こちらから交際を申し込み、ダメだったというのは、振り返ってみれば1回だけ。じゃあ何回のうちの1回だったのか、と問われれば回答に窮するが、断られた1回も
今、お付き合いしている人がいて・・・。その人がいなければなあ、オッケーするんだけどな
と(社交辞令だとは思うけど)言ってもらえた。
ちなみに、その他の成功した交際も、いずれも相手(女性)側から振られるんだけどね。
これらのモテ期は、交際を申し込んで付き合っては振られ、申し込んで付き合っては振られの繰り返しだった。失恋の傷を癒やすために次の恋人を探してたみたいな感じ。ほめられたもんではない。とっかえひっかえ、英語では「Easy come , easy go」とか言うらしい。
結婚前にはフィアンセがいた。
彼女とのストーリーは過去に記事を書いたので、詳細はこちらまで。
[st-card id=223 label='' name='']今思えば、わたしには高嶺の花。とてもとても、届く存在じゃなかった。
これ以上の恋愛、素敵な女性が登場するのか不安になった時期もあったほどが、間をとりもってくれた人がいて、妻と一緒になれた。
この記事が妻に知られないようにしたいのだが、見られていないことを前提で話すと、
- そこそこかわいい
- 仕事(会社の仕事、家の仕事両方)はできる
- 身体は丈夫(少々体調を悪くしても、こちらからいたわりの声をかけたら「大丈夫よ、何言ってんの?」と言い返すほどに無粋だが・・・)
わたしにとっては、普通に考えたらとても出会うことのない存在。
倫理上も問題ない、と思う。
脇が甘いと感じる行動があり、あやしいと思わせることも無いことはない。
もしかしたら「あー、今おかしなことやってんじゃね?」と感じることもある。
が、それ以上に家のこと、子どものことをしっかり見てくれている。わたしが心配の気持ちを抱くのを排除しようとしてると感じさせるほど、しっかりやってくれている。
単身赴任生活の時期もあったけど、今は妻と子ども、一緒に生活してる。
ときどきは、一緒の生活が息苦しく感じることもあるが、一緒にいられる幸せはなにものにもかえがたい。
ずっと彼女と一緒に過ごしていくと思う。
時計と恋愛
おー、なんてことだ。
恋愛の段落の中で下線があるのは、時計の説明をする文章とかぶっていることを意味するのだが、見事に、オレにとって時計と恋愛は一緒じゃないか。
それ以外にも、生涯の伴侶のG-SHOCKとは別のG-SHOCKを買ったのは、浮ついていたオレ。でも、何が作用したのか、それはつまんなくなり、元のG-SHOCKを修理し使い続けていくことが頭脳の大部分を占めるようになった。
「腕時計と恋愛は同じ」という言葉に出合ったのはいつだったろうか。
はっきりしないまでも妻と出会う以前であることは確か。
言葉に出合った最初の頃は「ふふーん、たしかにそういう見方もアルカポネ(じゃない、あるかもね)」くらい。でも、ある時期から「ふむふむ、この言葉、なかなかにするどい説明だ。
その後は、気になる、あるいは目新しい時計の情報を見てると、「おいおい、お前には大事な時計(妻)がいるのじゃないかい?」と、もうひとりの自分が問いかけてくる。
たとえば、最近もこんな記事が気になったりしてる。
www.digimonostation.jp リンク切れ
でも、お金(お小遣い)も、自由度がないと言えるほど少ないし、それ以上に冒頭に挙げたG-SHOCKの存在で十分。
浮気なんてしないってことだ。